いつの頃からか、「お産は病気ではない」という表現が、妊産婦や産科の医療機関の間で広く使われるようになってきています。
1980~90年代にかけては、欧米式の妊娠・出産に対する考え方や、各国の出産スタイルなどが日本にもどんどん取り入れられるようになった時代でした。欧米などの体格の大きい人々は人種による体の性質の違いも含め、小柄な日本人より妊娠・出産で母体にかかる負担が少ないため、妊産婦に対する負担や認識が日本とはやや異なるところがあります。そうした欧米的な発想にも後押しをされて、よりこの言葉が急速に広まったように感じます。
多くの人は「お産は病気ではない」と聞くと、「病気ではないのだから、安心して普通に生活してよい」と受け取るのではないでしょうか。
しかし、もともとこの言葉には、後に続く言葉があります。それは「お産は病気ではない、だから病気より怖い」というものです。
多くの病気は、発症してから時間をかけて徐々に病状が進行していきます。そのため経過を見ながら治療をし、治療の成果が芳しくなければ方向転換をして、別のタイプの治療を試したりしながら、治療を継続することができます。
しかし、赤ちゃんは一日一日ごとに勢いよく成長します。成長の時間を止めることはできません。何の予兆もなく突然に急変すれば、母子のどちらか、あるいは両方が短期間のうちに命を落としてしまうこともあります。その危機感を真摯に受け止め、妊娠から分娩、産後の母体の回復まで、いついかなるときでも油断はできないと気を引き締めるために、昔の産科医は「お産は病気ではない、だから病気より怖い」と表現したのです。
私も産婦人科医になって30年以上の月日が経ちますが、本当にこの言葉は真理だと、心から実感しています。いつの時代も、妊娠がわかったその日から、妊婦さんとその家族には命を守り育てるための真剣な覚悟が必要になります。
妊娠・出産について不安になりすぎるのはよくないですが、病気ではないからこその配慮が必要になるということを、子を持ち、親になろうとするすべての人々に知っていただきたいと思います。