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正しい産婦人科の選び方

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『私は30年程前、小川クリニックで出産し、お世話になった者です。最近になって、 親しい友人が小川クリニックで働いていることを知りました。 』

小川クリニック
ドクター、スタッフの皆さまへ

私は30年程前、小川クリニックで出産し、お世話になった者です。
最近になって、 親しい友人が小川クリニックで働いていることを知りました。 それがきっかけで、私の人生にとって大切な小川クリニックでの記憶が次々とよみがえり、あらためて、皆様にお礼申し上げたいと思いました。以下、私の小川クリニック(。・ω・。)ノ♡です。

昨年10月、長男が30歳の誕生日を迎え、続いて12月には、長女も29歳になりました。 長男は私が結婚してから9年目、 大病院での不妊治療を経て授かった子です。 当時私が経験した不妊治療は、全くデリカシーに配慮していただくことができず、心身ともに疲れ切っていました。

私は妊娠がわかったときに、ちゃんと話を聞いてくださるドクターがいるクリニックで出産したいと切に願っていました。勇気を振り絞って病院の関係者に相談したところ、 戸塚の小川先生は経験豊富、 技術も高い、患者とのコミュニケーションを大事にする方なので、 そこに行ってはどうですかと、小川クリニックを紹介してくださいました。

私は翌日早速診察に行き、 小川ドクター (先代の小川知和医師)にお会いしました。小川ドクターは患者の心にするすると入り込んで安心させてしまう術をお持ちの方のようで、私は初対面から緊張せずに会話でき、ほっとしました。

その時の小川クリニックの印象は、今まで経験した婦人科のどことも比べようが ない別世界でした。 スタッフの方の言葉遣いに始まり、診察時の私に対する配慮、 小川ドクターから感じる安心感、全てが初めての経験でした。

それまで私にとって、病院とはひたすら耐える場所でしたが、小川クリニックは違いました。患者がなんでも相談でき、リラックスできるようクリニック全体で努力をされ、クリニックのすみずみまで小川ドクターの強い理念が感じられました。 私は、もちろん迷いなく、 小川クリニックでお産をすることに決めました。

さて、私の妊婦生活は順調にすぎ、 いよいよ出産を迎えました。 夜中の破水に始まり、想定外のことばかりでしたが無事長男が誕生しました。

その時、私は分娩後はすぐに楽になれると思っていました。ところが全身の違和感、痛みに加え、精神的にも落ちこんで眠れず、朝が来るまでとても不安で苦痛でした。

入院中、スタッフの方は何度も病室にやってきて、声をかけてくださいました。 特に小川ドクターは夜中でも、今お産が終わったからと言って私の病室に様子を見に来てくださいました。

ある時は、今日はお産が早く終わったからと言って、お茶とおいしい和菓子をもってきてくださったこともありました。毎晩眠れずに過ごしていることをご存知だったのでしょうか。 私はドクターの心遣いに感謝するとともに、ドクターはいったいいつ眠るの?と思ったりしているうち、いつの間にか眠 れない夜を不安にならずに過ごすことができました。

忘れられないのが、なんといっても食事です。 毎回とても美味しくて、体があち こち痛くても、違和感があっても、こんなに御飯がおいしく食べられるのだから心配ないと思えました。この美味しい食事も小川クリニックの素敵な思い出です。

長男のお産を経験して、正直に言うならば、2度とお産はしたくないと思ってい ました。また、不妊治療を受けていた私にとって、第2子を望むことは無理なことと思っていたこともありました。

それなのに、驚いたことに、幸運にもすぐに長女が授かり、なんと2年連続で小川クリニックのお世話になったのでした。それから、あっという間に月日は流れて、今や私も母親からおばあちゃんと呼ば れる年齢になってきています。

振り返ると、人生には譲れない選択というものがいくつかありますが、 私が出産 という人生の一大イベントを小川クリニックで迎えるという選択をしたのもその一 つでした。おかげで、 最高のドクターとスタッフの方々に出会えました。

小川クリニックで親子ともども大切にされた記憶は私の宝物です。私のその後の育児にも、人生にも、自信をいただけたような気がするのです。

当時、皆さん大変お世話になりました。 あらためて、感謝を申し上げます。

小川 博康
監修:小川クリニック院長 小川 博康医学博士/日本産科婦人科学会専門医

昭和60年 日本医科大学卒業。同年 同大学産婦人科学教室入局。 平成9年 日本医科大学産婦人科学教室退局後、当クリニックへ帰属。 大学勤務中は、一般産婦人科診療、癌の治療を行い、特に胎児診断・胎児治療を専門としていた。「胎児に対する胎内交換輸血」 「一絨毛膜双胎一児死亡例における胎内手術」など、世界で一例しか成功していない手術など数々の胎内治療を成功させている。

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